城内にアラートが響く。私は氷の城の中央塔にある司令所にいた。元々は謁見の間だったこの場所も、豪華な装飾の壁とは不釣り合いの物々しい機器が無造作に置かれている。私の周りにいるのはウサギのような長い耳を持つ氷の星人の志願兵とロボット達だけ。他の氷の王族はみんな逃げ出した。女王であるママは、残酷な戦禍に人々を巻き込んだのは自分のせいだと心を病んでしまった。隣の部屋で泣いてばかりいる。
 アラームは鳴り止まない。モニターの前に座る監視兵が叫ぶ。
「シールド南側、開けられた穴より、炎の皇子が侵入してきました! 姫様、どうしますか?」
 私は身体が震えるのと全身に鳥肌が立つのを感じた。それを抑え込むように深く息を吸い込む。いい考えはないか、精一杯考える。
「姫様! 他の星に助けを求めましょう。我々だけで戦うのはもう無理です!」
「氷の星と炎の星の問題なのに巻き込むわけにはいかないの……」
「しかし、沢山のものが犠牲に」
 そう、これも私の我儘だ。ダメだ。これ以上犠牲は出せない。私の責任だとしたら……  私自身で運命を切り開かなきゃ。私は覚悟を決めた。あの日のように。
「分かった。みんなは脱出船に乗り込んで。あいつはここに来る。私が時間稼ぎをするから」
「そんな…… 姫様の為なら我らは死ぬことも怖くありません!」
 みんなが私を見てる。追い詰められた顔、ロボット達でさえ悲しそうな表情に見えた。
「大丈夫。考えがある。私はここで全ての星のみんなに救助要請のメッセージを送る。あいつがここを目指しても分厚い防御壁があるからしばらくはもつわ。その間にみんなは逃げるの。それに私だけなら身軽に逃げられる。私専用の脱出ポッドもここにあるし、むちゃくちゃ強いロボットのヒップライトもいる」
「しかし姫様に何かあったなら、我らも共に地獄でも何処でも行きます」
 目に涙を溜めてみんなが私を見つめる。みんな本気なんだ。私の為に命さえ差し出す。こうやって私達王族は守られてきた。でもこれじゃダメなんだ。
「むしろみんながいると足手まといなの。だから、その間に女王を連れて逃げて。そう、これは命令よ。いや違うわ。これは、お願いなの」
 私は強張った顔に力を入れて無理やり笑顔を作る。みんなはどうしていいか分からずただ立ち尽くしていた。目を覚ますように金属音が響く。ヒップライトが剣を床に叩きつけた音だ。ヒップライトはみんなを鼓舞する。
「コノ時間ヲ無駄ニスルナ! サア、逃ゲルンダ! 私ガ姫ノ側ニイルンダ! 大丈夫ダ」
 我に帰ったようにみんなは頷いたり顔を見合わせたりして、なんとか動き始めた。
「姫様、先に向かいますが、どうぞいち早くお逃げくださいませ」
 泣きながら立ち去るものもいる。私は精一杯の笑顔で送り出す。

 無理して笑ったせいか、みんながいなくなった後も顔の筋肉が強張って上手く動かない。
「姫サマ、ココニハ脱出ポッドナド、アリマセンガ?」
「分かってる。私、嘘だってつけるのよ」
 私はもう一度息を深く吸う。私のせいでこんなことになった。沢山の命が奪われ傷付いた。私が向き合わなければ。
「ヒップライト。映像の送出の準備をして」
「ハイ、スグニ」
 ヒップライトは頷いて作業を始める。生まれた時から私の側にいたロボット。時には優しい給仕役、時には怖い家庭教師、時には誇らしい戦士。そんな彼女が側にいてくれることが救いだった。
「準備ガ出来マシタ。ドウゾ民ニ、ソシテ、アノ人ニモ届キマスヨウニ伝エテクダサイ」
「あ、あの人? 何言ってるのこんな時に! もう、忘れたわよ!」
「姫サマハ嘘ガ下手デスネ」
 ヒップライトに言われて思わず笑ってしまった。そうあの人。私の知らない色んな場所の話を教えてくれた、素敵な絵を描いて贈ってくれたあの人。絵描きさん、あなたは今どこにいるの? もう一度会いたい…… 勝手に一筋の涙が頬を流れる。固い頬に柔らかな温もりが伝う。私はそれを拭い、手を合わせて祈る。どうか無事でいてね。そして強く息を吐いて、カメラの前に立った。

「皆さん。私達はこの三惑星にやってきてから共に助け合い生きてきました。遥かなる先祖達の想いを受け継ぎ、こうして大切な今があるのに何故奪い合うのでしょう? 皆さんはご存知でしょう? どの星ももう資源は枯れ始め、子供達は少なくなり、未来には暗い雲が立ち込めているのです。そんな時に奪い合い? 助け合って紡がれたこの命を無駄にしないでください。氷の星も炎の星もどの星人もかけがえのない仲間なのです。この悲劇を作り出したのが炎の皇子であれば、彼にその蛮行をさせた原因が私にもあります。
 さあ、炎の皇子よ。ここに来なさい。そしてここで終わりにするのです、この無意味な争いに。だから皆さんは遠くへ逃げてください」
 私はそこで一度言葉を区切る。そして息を吸い、言葉を繋ぐ。
「他の星の人々にもお願いがあります。どうか傷ついたもの達を受け入れてください。氷、炎のどちらであっても。
 この三惑星が美しいのは沢山の命が溢れているからです。それは無限の色彩の様です。そんな世界に住むみんなの未来を描くにはきっと沢山の色が必要なんです。色んな人々、色んな思い。それを混ぜ合わせて美しい明日を描いてください。
 私はそれを教わりました。いいことも悪いことも全てがその命の色になるからと。それはとっても大切な人からの言葉です。私は私だけの色彩になって命を彩りたい。そして、そんな私をあの人に見てほしい。私は今、その人に会いたい。だから生きる。だからみんなも…… 個人的な想いでもいい。星や民族や国家の為じゃない。あなた自身の為に。それがきっとみんなを救うことになる。だからみんなも生きて。生きてなきゃ、この先に待っている幸せに出会えない。憎む者も許して、自分の弱さも抱えて生きていって。あなた自身の為に」
 カメラ越しに全ての星のニュースソースに、全ての人々に、そしてこの城にも私の声が響いているだろう。もしかしたらあの人に届くかもしれない。
「今こそみん…」
 そこで大きな破壊音と共に電気が落ちた。分厚い天井が裂けて、そこから笑い声が響いてきた。
「さすが、俺の妻に相応しい女だ! 大した度胸じゃねえか」
 天井の壁が崩れ、室内に瓦礫が落ち煙が広がった。その煙に黒い影のシルエットが見えた。それは大きな赤い竜に跨った炎の皇子だった。
「お待たせしたな! 可愛い子ちゃん」
 皇子はそう言うといやらしく笑った。
「おお! 今日も美しい。その物憂げで潤んでる瞳、濡れた唇。ビューティフォー! それに何と言ってもその姿、紫色と青のコントラストがとても素晴らしい! エクセレント! まるで美しい蝶々のようだぜ。ハハハ!」
 そう言って両手を蝶のように羽ばたかせた。そんな茶番を終わらせるようにヒップライトが私の前に飛んで来て皇子の前に立ちはだかった。
「姫ハ話シ合イヲ求テイル。降リラレヨ」
「ほう、そうか。だが俺はもっと情熱的にいきたいぜ!」
 皇子は大きく手を横に振り払う。何か見えない力で突風が起きる。ヒップライトはひらりとかわす。
「人の恋路の邪魔をするもんじゃないぜ! やれ!」
 皇子がそう言うと竜は鋭い棘の付いた長い尾をしならせてヒップライトを突き刺そうとする。ヒップライトはそれを避けて飛び上がる。空中で剣を抜くと針のような細い剣先が輝いた。

「コノ狼藉モノメ!」
皇子めがけて剣を突き出す。ガキン! 弾かれる剣。竜が皇子の目の前に翼を広げ防いだ。ヒップライトはその反動で床に転がるがすぐに体勢を直しニ撃目を繰り出す。竜の尾がそれを払う。ヒップライトは後ろへ回転する。あまりの戦いの速さに私は圧倒された。
「おまえ、中々やるねえ」
 皇子が笑って二、三度拍手をするとヒップライトの方へ右手を伸ばす。そして深く息を吸い手の平を広げる。向かい合うヒップライトは身を低くして構えた。背後が黄色く灯る。あれは力を溜めている時だ。一撃必殺の攻撃をするつもりだ。私は二人に向かって叫ぶ。
「ちょっと待って! 話があるの。一度落ち着いて」
 皇子がチラリと私を見る。
「そうだな。一度落ち着こう」
 そうしてニヤリと笑いヒップライトへ視線を戻すと、伸ばした右の掌をぎゅと握る。何かをすりつぶすように。
「グァ!」
ヒップライトの身体が見えない何かに押しつぶされる。装備がひび割れ、細い手足が変な方向に折れ曲がり、その場に崩れ落ちてしまった。
「ヒップライト!」
「ヒメサマ…」
 ヒップライトは絞り出すように声を出すと動かなくなってしまった。前の皇子とは何かが違う。何か恐ろしい力を持っているようだった。それでも私は勇気を振り絞り、前へ一歩踏み出した。
「もう、こんな事はやめてください。この星の人々だけでなく、あなたの星の人々も傷ついています。お願いです。力を合わせてこの三惑星を救いませんか?」
 私は震えているのがバレないように全身に力を入れる。サングラスをしている皇子はどんな目で私を見ているのかわからない。ただ、笑うのをやめて真顔で私を見つめているようだった。
「私があなたを拒否しなければ、こんな事にならなかったのなら…… もう一度やり直させてください。あなたの妻となり、星々を共に救いましょう」
 皇子は微動だにせず話を聞いている。何も答えない。私はいっそう不安になる。痛いほどの沈黙の後、ニヤリと左の口角を開けて皇子は言った。
「なるほど、なるほど、なるほどね。お気持ちが変わったと。はて、それでもなんか上から目線な感じは変わりませんなあ。まあ純血な人間様って感じでさ!」
 そう言ってふんと鼻を鳴らし上を見上げる。
「そんなつもりはありません。私はもう守られる者ではなく、ひとりの星人としてこの星の力になりたいのです」
「ほう。ならば、どこぞの"あの人"のことはどうするのですか、お姫様?」
「あの言葉は最後の、別れの決意です。人々を守る為なら嘘でも何でも構いません。あなたと結ばれることが私にとって嘘だとしても、星々を守る為だったら構わないのです」
「嘘? そうか正直だな! いや、大した決意だ。惚れ直しましたよ。ではその決意、本心かどうか見せてくださいよ。さあ、剣を捨て、鎧を脱ぎ捨ててください。今すぐこの場で」
「……分かりました」
 私は腰に付けた剣を床に捨てた。渇いた音を立てて剣が床に転がる。装備も外した。薄手の着衣だけになる。
「では、そのまま誓いのキスから始めましょう。その先の流れ次第で姫さまの決意を確認して、我が軍にも休戦を伝えましょう」
 皇子が竜から飛び降りる。赤いマントを剥ぎ取り投げ捨てる。鈍い靴音を響かせて一歩一歩近づいてくる。私の鼓動は今まで知らないくらいに激しく刻む。息も早くなる。鼻歌を口ずさみながら皇子が目の前に来て、私の腰を掴んだ。そして左手で私の顎を掴み持ち上げる。私は目を瞑る。我慢しなくちゃ。心に叫ぶ。皇子の唇が触れる。受け入れなくちゃ。
「やめよ!」
 声が響き、皇子の唇が離れる。皇子は声の方に向き直る。腰を強く掴まれている私は首だけを回した。入り口のドアに寄りかかりながらママが立っていた。
「このケダモノめ。無礼とは思わんのか!」
 皇子は私の耳元で
「姫さま、動くんじゃねえぞ。分かってるな」
 そう低い声で囁いて、ママの方向に一歩踏み出した。口笛を吹きながらママの手前で立ち止まった。
「これはこれは母上。どうも病が酷いご様子。寝てらしたら良かったものを。永遠に」
「おぬしら炎の星の民は、開拓の為に作られし従属の身分。我らに歯向かうことなど出来ぬはず。さあ、我の命令を聞け! 立ち去るのだ、今すぐこの星から!」
 ママは今まで聞いたことないほど大きな声で叫んだ。ずっと寝たきりだったのに、どこにそんな力があったのと思うほどに。その声に反応したかのように皇子は頭を両手で押さえる。
「う、う、あー」
 皇子が苦しんでいる。そして膝を床に落とし頭を押さえる。
「ああ、痛い、痛い!」
 苦しそうに悶えている。ママは続けた。
「さあ、出てゆけ炎の民よ」
 皇子は震え出した。その震えで踵が床をガタガタと鳴らす。しかし、それはやがて一定のリズムを奏で出した。
「うー、うー、うう、ふふ、ふふふ、ファファ、ハハハハハ!」
 震えていた身体もやがて笑いに変わり、皇子は立ち上がり身体をクネクネさせて踊り出した。ママは驚いた目でそれを黙って見ていた。
「ああ、痛い。腹が痛いよ、おもしろすぎて! 冗談がお上手です、さすが母上」
 そう言って踊りをやめて姿勢を正すと
「もう時代は変わったんです。あなた達の言葉の力は我らには及ばなくなりました。残念です、本当に。ハハハハハ!」
「何ということじゃ」
 ママはその場に倒れ込む。
「ママ!」
 近寄ろうとママの元へ走り寄る私の腕を皇子が掴んで止める。
「余計な事すんじゃねえって」
 そう言って皇子は左手を掲げた。人差し指を立てて、やれ、と冷たい声で言った。竜が唸り声をあげて天井へと首を伸ばし鋭い牙を携えた口を広げる。
「や、やめて!」
 私は叫んだ。皇子の掴む手を振り解こうにもすごい力で離れない。皇子は私を掴んだまま後退りしてママから離れた。竜は天井めがけて炎の玉を吐き出した。それは天井で爆発すると、沢山の瓦礫をママの上に降り落とした。
「いやぁ!」
 瓦礫が大きな音を立てて煙を巻き上げる。煙が消えると瓦礫に埋もれ横たわるママが見えた。私を掴む皇子の手が離れた。私はママに駆け寄った。
「ママ! ママ!」
「ごめんね。あなたを守ってあげられなくて」
「違う! 私のせいなの! 私が決めた事なの!」
「こうなったのはあなたのせいじゃない。ママが悪いのよ、全部。ねえ、最後に聞いて……」
「最後なんて嫌。嘘よ。こんなの」
 血だらけになったママの顔に触れる。厳しかったけど、その目はいつも優しかった。その目が私を見つめてる。そして微かに笑って言った。
「あなたに色んなものを背負わせたわ。でも、今更分かったの。女王である前にあなたの母親なの。そして母親はね、子供の幸せを何より願ってる。好きな人のところへ行きなさい。この星のことより、あなたの為に。どんなことがあっても、自分の心にだけは嘘は付かないでね。ちょっと先にパパと向こうで待ってるから」
 ママはそう言うと動かなくなった。
「嫌、嫌。嘘だと言ってよ。ねえ」
 私は泣いた。涙が止まらない。身体の奥深くから自分でも聞いたことない嗚咽が溢れる。止まらない。頭が真っ白になってしまった。もう何も考えたくない。

 どのくらいの時間そうしていたのだろう。永遠のような気もするし、ほんの束の間だった気もする。とにかく何も見えなくなったその世界で、何か強い力が私の肩を掴む。そして立ち上がらせる。くるりと向きを直す。耳元で囁かれるけど、深い海の底にいるみたいで何を言っているかよく分からない。髪を撫でられる。唇に何かが当たる。鼓動はゆっくりと、だけど岩礁に砕ける波ように強く弾けている。肩から薄手の着衣を脱がされる。全てが遠い場所で起きていることみたい。もう、このまま心の闇の深くに沈んでいたい。全てを忘れて。ただそれだけだった。生ぬるいものが首筋を伝っている。その時、遠くから音が聞こえた。見上げると朧げな光が見えた。その声はどんどん大きくなる。どこかで聞いた声。それはあたたかくて、優しくて、愛おしい。
「姫! 姫! 今行くから!」
 ぼやけた世界に浮かぶ微かな明かりに私は焦点を合わせた。窓だ。この建物の前にある中庭が見える。そこに走っている人が見えた。その人が叫んでいる。
「姫! 姫!」
 私の意識が騒ぎだす。嘘、嘘? あの人なの。あの人が来てくれた? どうして? なんで? でも、でも……嬉しい。本当に嬉しい。あたたかな感情が私を呼び戻す。目の前に炎の皇子がいた。
「はあ、いっつもアイツが邪魔するんだ。くそな弟め! 母さんもアイツの心配ばっかり。親父もアイツのせいで俺には八つ当たり。周りの奴らも俺の事を馬鹿にしやがる。よし、ここで姫さまとひと盛り上がりしたら、アイツも殺してやるか」
 あたたかな感情は熱い怒りへと変わる。私はコイツを許さない。そう、嘘はもういらない。正直な自分でいたい。あの人を守る。その為に戦わなくちゃ。
「この…… 悪魔め!」
 私は叫ぶ。そして内股に隠していた短剣を引き抜き、皇子の脇腹へと刺した。
「あれ……」
 皇子は驚いた顔で自分の脇腹を見る。
「あー、刺しちゃったのね。姫さまもやっぱり俺を馬鹿にしてんだな。はあーあ、いっつもみんな俺を馬鹿にして」
 皇子は寂しそうな顔をして短剣を引き抜いた。剣先を人差し指と親指で掴んで揺らしてる。そして、それを宙へくるりと投げ、落ちてきたところを持ち直した。
「よーし、いい事考えた。姫さま、最後に最高の贈り物をしてあげよう」
 そう言って皇子は今まで見た事ないほど、笑顔になった。そして真顔に戻り、素早く短剣を持った左手を振り抜いた。
「今からアイツを焼き殺してくるぜ。炎の民は熱に強いから相当強く長くやらないとダメだろうな。長い間苦しむだろうなぁ。その姿を見てもらいながら姫さまには地獄へと旅立って頂きます。まあ、ハネムーンって感じ? 俺は後から行きますからご安心を。では、それじゃ!」
 そう言って高くジャンプして竜の背に飛び乗る。そして皇子は手綱を振り、それに反応した竜は嘶くと天井の穴から外へと飛び去ってしまった。私は何が起きたのか最初はよく分からず唖然としていたけど、ふと胸が温かくなったことに気がついた。胸元を見た。はだけた服に一筋の赤い線が引かれていた。そこから鮮やかな血がゆっくりと流れ落ちている。ああ、今、皇子に切られたんだ。急に力が抜ける。私はその場に倒れた。痛みが遅れてやってきた。身体が熱い。目がぼやける。でも、そんな事よりあの人に心は揺れ動いていた。やめて、あの人を傷つけないで。消えてゆく身体の感覚を手繰り寄せ、私は精一杯叫んだ。
「逃げて! お願い! 逃げて!」
 力が入らない身体で窓へと這いつくばる。窓の前に竜が降りてきて、あの人が見えなくなる。そして真っ赤な炎が窓を覆う。
「いやぁ!」
 窓越しでも灼熱が伝わってくる。あの人が、あの人が。目から溢れる涙はあまりの熱にすぐに乾いて消えた。私の意識も同じように消えてゆく。あの人が…… 私は暗い闇へと落ちていった。