5 運命の輪
姫が新たな姿として目覚めたその頃、水の星の星人を中心とした中立軍と氷の星の民兵達が、負傷者の救助や荒れた街の治安を守る活動をしていた。カエルの法王は中庭に展開された避難キャンプを回っていた。捕えられた炎の兵士を氷の星人達が取り囲んでいた。この極悪人が! 死んで詫びろ! 皆、口々に叫んで今にも暴力をふるいそうだった。そんな緊張感に溢れた人々の間に入って、法王は人々を宥め諭していた。
一方で姫の捜索は秘密裏に続いていた。氷の星人達も心の支えであった氷の姫が全く姿を表さないことに不安の声を上げ始めていた。そんな中、絵描きは眠ることもさえも忘れて姫を探し続けていた。目が見えなくなった絵描きに付きっきりでラヴィは支え励ましていた。きっと見つかるから。そう言うラヴィに応えることもなく絵描きは一心不乱に瓦礫をどかし、部屋という部屋を何度も巡り、狂った様に城内を彷徨っていた。
炎の皇子は瀕死の状態で運ばれ、炎の星の中心部、赤の塔に到着したところだった。八部衆の唯一の生き残りであるスピーカーボブに肩を抱かれながら、おぼつかない足取りで皇帝の元へ急いでいた。
身体中が痛い。息をするのも億劫だ。見渡せば皇都の至る所で炎が上がり、爆発音が響いている。
「おい、ボブ。この状況はなんだ?」
「皇子、分かりません。とにかく皇帝の元へ急ぎましょう」
俺は朦朧とする意識の中で、ただ目の前に出てくる階段の一段一段をこなしてゆくのが精一杯だった。いつもいるはずの近衛兵達もいない。くそ、なんでこんなことになってんだ? 怒りが胸に溢れる。
やっと皇帝の間についた。ドアを叩く。返事はない。イラつく。俺は力を振り絞ってドアを蹴り倒した。ドアの先には皇帝、つまり親父がいた。でっかいご立派な椅子に座って酒をラッパ飲みしてる。その周りにはカラフルで豪勢な食いものが無茶苦茶な配色の花畑みたいに散らばっていた。その中を酔い潰れた女達が死んだように眠っている。
「お、帰ったか?」
親父は酩酊状態だった。ボブは怯えながら聞いた。
「皇帝陛下。この状況はいかがされたのですか?」
親父はめんどくさそうにこっちを見て、空になった瓶を俺に向かって投げた。瓶は俺の左を抜け壁に当たって砕けた。掛けてあった絵に中身がぶちまけられる。母さんが好きだった絵だ。
「何があったか知りたいか? ああ、教えてやろう。お前が負けて、しかも紫の瞳は敵側で。そうなったら誰も俺を恐れなくなったんだよ。俺達一族は偽物だってな。日頃の不満をぶちまけて、クーデターってやつさ。はは」
親父は自虐的に笑っていた。
「しかし、まだ皇子はここにいらっしゃいますし、皇帝陛下が立ち上がれば……」
「おい、お前。誰に向かって口答えしている?」
親父のしゃがれた声に遮られ、ボブは黙り込む。
「俺はもう、疲れたよ。権力争いにも出来損ないの息子共にもな。そして、そんな子供を産んで俺に背負わせた母親のあいつにもな。順風満帆なはずだった俺の人生。どうしてこうなった? もうやめだ。俺はここで楽しく死ぬ。さあ、だからお前。そこのお前。もういらないんだよ。消えろよ」
親父はそう言って俺を睨みつけて唾を吐く。
いらないんだよ。その言葉が頭の中で反射する。いらないんだよ。なんでだ? こんなに頑張ったんだ。ねえ親父、こんなボロボロになるまで。

「皇子! おやめください!」
ボブの声で我に帰る。俺の両手は親父の首を掴み宙に吊し上げていた。状況を察した女達が部屋から逃げてゆく。
「うぐ、ぐ、やってみろ。この出来損ないめ」
親父の言葉に心がえぐられる。それでも勝手に力がこもってゆく。心の奥から声がする。
『さあ、壊しちゃえよ。初めからやり直せ。さあ、生まれ変わるんだよ』
力が身体の奥から溢れてくる。
「皇子!」
ボブの声が響く。でも止めらない。怒りが憎悪が悲しみが苦しみが、真っ黒なミミズみたいに溢れてくる。
「やめ、ろ」
親父の手が俺の頭を掴む。爪が食い込み、俺のひたいから血が流れ落ちる。それが目に入る。目の前が真っ赤に染まる。声が囁く。
『さあ、燃えろ真っ赤に』
俺の口が勝手に喋り出す。
「さあ、燃えろ真っ赤に」
親父の目が見開いて俺を見つめる。なんて寂しそうな目だ。一瞬震えて、そのまま動かなくなった。それでも俺はずっと首を締め続けていた。ボブが無理やり手を剥がすまでそうしていた。声が囁く。
『さあ、下へゆこう』
「さあ、下へゆこう」
泣きそうな顔でボブが答えた
「皇子? 下ですか? そこに何が?」
俺の足は入ってきたドアへと戻り、廊下を進んだ。すでに行き場所を知っているかの様に俺の足は勝手に動いてゆく。知らない螺旋階段に出た。とんでもなく深く下へと続いている螺旋階段だった。一歩、一歩降りる度に心が軋み痛みを訴える。どうしてこうなったんだ。ガキの頃の記憶が蘇る。
力を持てなかった俺に親父は言った。
「きっと、大丈夫だ。いつか力に目覚めるからな」
母さんは俺を抱きしめて言った
「ずっと、あなたは大切な子供よ」
だけどアイツが生まれて変わったんだ。親父はアイツに期待して俺には目もくれなくなった。母さんはアイツの心配ばっかりしやがった。
ねえ俺、頑張ったんだよ。紫の瞳じゃなくても強くなれる様に鍛えたし、母さんに早く治ってほしいから会うのも我慢してたんだよ。なのに。きっと、いつかは分かってもらえるって。ずっと頑張っていたらって。ねえ、聞いてる? きっと、ずっと。きっと、ずっと。
気付くと長い螺旋階段は終わり、小さな踊り場に辿り着いた。目の前に錆びた赤いドアがある。それは俺達が目の前に来ると自動的に開いた。まるで待っていたかの様に。中に入ると円形の小さな部屋だった。部屋の真ん中に小さな石の台がある。その上に光る輪があった。それは心臓の様に輝きに強弱をつけて灯っている。
「こ、これは何ですか?」
ボブは震えながら俺に聞いた。俺の口が勝手に喋り出す。
「これは運命の輪。はるか昔、この星に来たものが持ってきたものだ。これは元々一つの輝き、そして願いを叶える小さな光の粒だった。それは三つに分かれ、炎、水、氷それぞれの星に置かれた。これは別次元からの贈り物。この力は星自体が持っている意識とエネルギーを封じて、人間が住める様に星を変えた。これは三つで一つ。だから、これ一つを壊せば他の二つも呼応して壊れる。そして壊れてしまえば、星は溜まりに溜まっていた怒りを爆発させるだろう」
俺はそんな事、聞いたことも見たこともない。それはそうだ。心の奥の誰かの声だ。それは続ける。
『お前の居場所はもう無い。弟に憎まれ、たくさん人を殺し、あげく父親までも殺した。許されないだろう。ずっと。ならば壊せ、この世界を』
そうだ、俺には生きる価値なんてない。もう、終わらせよう。だけど、この世界を壊すとかもうどうでもいい。俺が消えちまえばいいんだ。
『待て、壊すんだ世界を』
心の奥が騒ぐ。うるせえ声だな、俺はうんざりなんだよ。
俺はボブの剣を奪う。
「皇子! 何を」
ボブは俺の手から剣を取り返そうとする。
「邪魔するな!」
ボブを払いのける。ボブは壁にぶつかり倒れ込む。ボブは泣いている。
「皇子。あんたが奴隷だった俺らを救ってくれたんだ。運命を変えてやるって。それはこんな事なのか?」
「うるせえ!」
俺は剣を逆手に持って自分の首へと向ける。そして力を込める。
「さあ、終わりだ」
待って!
その時、目の前に黒い幻影が浮かぶ。その影は煙の様に揺らぎながら、やがて輪郭をはっきりとさせた。長い髪、細い腕が俺に伸ばされる。母さん、母さんなのか?
「この世界ではもうあなたは許されない。だけど、こっちにおいで。私があなたの全てを許すから」
「母さん、いいの? 俺は許してもらえるの?」
「当たり前よ。あなたはずっと私の子供なんだから」
そう言うと母さんは俺を抱きしめた。そして耳元で囁いた。
「さあ、その輪を壊すの。そうすればこっちに来れるわ。ずっと一緒よ」
涙が溢れた。ガキみたいに泣いた。ずっと我慢してたんだ、母さん。
「分かったよ」
俺は剣を落とし、運命の輪の元へ近づく。掴むと白い炎を巻き上げる。まるで怒っているかの様に。猛烈な熱さが俺を襲う。身体中が燃えがる。それでも俺はそれを両手で高く掲げた。
「母さん」
俺は運命の輪を地面に叩きつけた。運命の輪はガラス細工の様に乾いた音を立てて粉々に砕け散った。白い炎が消え、一瞬の沈黙が流れた。そしてすぐに地面が揺れ出した。地中深くから低く呻く音が響き始める。それは揺れと共に次第に大きくなり、耳が張り裂けそうなほどになる。大きな爆発と共に部屋の壁が砕け散る。砕けた壁の先には、広大な地下空間と燃え狂うマグマの海が広がっていた。俺達のいる場所だけが真っ赤な海に浮かぶ小島の様に残されていた。マグマから溢れ出した真っ赤な炎の竜が飛び回っている。それは俺達を取り囲む。俺はボブの隣に座り込んだ。ボブを見た。ボブは俺を見つめると立ち上がった。そして俺を庇う様に抱きしめてきた。ボブが目の前で燃えてゆく。ボブは真っ黒な炭になる。やがて俺の身体も燃え始めた。俺は紅蓮の景色を見渡した。飛び散り舞う火の粉はまるで蛍の様だ。
さあ、やっとこれで終わりだ。やっと、母さんと一緒になれる。ずっと待っていたこの瞬間を。穏やかな時間だった。もう痛みも何もない。俺は自由だ。母さんが俺の手を引く。俺は母さんの顔を見た。微笑んだ母さんの顔が溶け出す。代わりに出てきたのは親父の顔だった。俺は驚いて手を振り解こうとする。でもあまりの強さに逃げられない。それだけじゃない。ボブや死んでいった兵士達、俺が殺した他の星の奴らが幻影となって俺の足を掴む。やめろ! やめてくれ! 気付けば足元には真っ黒に蠢く闇が広がっていた。無数の手は俺を闇の底へ引きずり込もうとする。いやだ、そこには行きたくない。足を掴む幻影達は泥の様に溶け出してやがて一つに固まり、形を変えてゆく。大きな十二枚の羽、鋭い角。心の底から聞こえていたあの声が俺に言う。
『もう一度力をやろう』
その手には光る粒が瞬いていた。
『さあ、始まりだ』
