僕は走った。息が切れる事も足がもつれる事さえ気にせずに。目の前にいるキャップの足取りは速い。それでも喰らい付いて走る。
 ブレイクと対峙した場所から城内へ入ると長い廊下が続いた。突然、姫の声が城内に響く。姫が全ての星人に向けてメッセージを送っているようだった。懐かしい声。胸が張り裂けそうになる。
「私は今、その人に会いたい」
 その言葉に僕は驚いた。そして涙が溢れてきた。
「絶対、助けるから」
 そう呟いた時、メッセージは急に途絶えた。僕は涙を拭い、力の限り走り続けた。

 長い廊下を抜けると広大な中庭へと出た。そこは平和な時には戴冠式などの式典をやるような場所だった。シールドに守られていたからか、昔と変わらず綺麗なままだった。ただ違うのは目の前に高く聳え立つ姫のいる中央塔の上部から黒い煙が立ちのぼり、大きく開いた穴が見える。僕の心がざわついている。もう隠密な行動に意味はない。姫が危ない。僕は力の限り叫ぶ。
「姫! 姫! 今行くから!」
 目の前のキャップが剣を抜く。
「なんか、やばい予感がする。化け物がいる感じだ」
 それは僕にも感じた。あの中央塔からは恐ろしい気配が漂ってくる。姫はもしかしたらすでに。
「姫! 姫!」
 息が切れていても叫ばずにはいられなかった。中央塔の前に着き、僕達は立ち止まった。竜の嘶きが聞こえ上空から飛んで来るのが見えた。
「まずい! 皇子が来た。ここじゃ不利だ。ひとまず身を隠さないと」
 キャップが叫ぶ。しかし竜は目にも止まらぬ速さで僕達の前に降り立った。炎の皇子は竜にまたがり、僕を睨みつけていた。
「姫さまとイチャイチャしてたのによ。邪魔すんなよ。この出来損ないが。消えろ」
「お前こそ……」
 言い切るより早く、皇子は左手を掲げて指を鳴らした。竜は大きく口を開いた。
「やばい!」
 キャップが僕の前に立ちはだかる。竜は炎を吐いた。世界が真っ赤に染まる。とんでもない熱さ。炎それ自体が無数の竜のように渦巻き、僕達を囲い込む。でもそれを青い水のシャボン玉のようなものが守ってくれていた。それはキャップの手から生み出されていた。
「俺の後ろにくっつけ!」
 僕はキャップの背中に張り付く。シャボン玉は小さくなり、僕達のギリギリのところで炎を防いでくれている。

「くそう、まだ終われない!」
 キャップは叫ぶ。その顔は痛みで歪んでいる。きっと命を削るような行為なのだ。何も出来ない僕はキャップの背中に手を当てて祈りを捧げるだけだった。キャップの装備が焦げ付いている。僕のゴーグルも溶け落ちる。
「くそう、まだか!」
 そうキャップが呟いた瞬間、炎の嵐は止んだ。炎の螺旋が細い糸になり逃げるよう消えてゆく。悲鳴をあげる竜。その首にはパックリと大きな傷が開いていた。激しく悶える竜から炎の皇子が飛び降りる。それと同時にキャップに駆け寄る者がいた。
「待たせたぜ」
 ゲコが僕達に微笑む。グァー! 竜は叫び、ぐるぐるとのたうち回っている。それを押し除けて皇子が前に出てくる。
「くそカエルどもめ。よくも我らの業火を止めたものだ!」
「ふ、舐めんなよ。俺達を」
 そう力強く言ったキャップも片足を地面に付けて肩で息をしている。きっと限界なんだ。ゲコはキャップの横に来ると肩を貸して立ち上がらせた。
「リーダー、お疲れ様。命を削って使う水の盾、あれ使ったらもう戦えないだろう?」
「いや、まだだ」
 キャップは虚な目で首を振る。
「ゲコ、お前は大丈夫か? それにみんなは?」
「俺は大丈夫だぜ。フロッグもなんとか無事だ。ピヨンがそばに付いてる」
「なら良かった。でもよくここに来れたな」
「八部衆は皇子が来たことにはしゃいじまって、俺らのことは忘れちまってた。だからピヨンに助けてもらって逃げたわけよ。そこで運良く城から逃げてきた氷の星人達に会って、別の秘密通路を聞いたおかげで来れたんだぜ」
「そうか、助かったよ。ゲコ、ありがとう」
 キャップとゲコはおでこを突き合わせて頷いた。そしてキャップは僕を見た。
「なあ絵描きさん。考えがある。あれは化けもんの香りがする。そんな奴とこれからやり合う訳だが、俺達で奴を引き付ける。その間に姫様のとこまで走ってくれ。ゲコもいいか?」
 ゲコは頷いて答えた。
「リーダー、やってやろうぜ。最後まで一緒だからな!」
 僕は戸惑った。ふたりを置いて自分だけが行くなんて。
「でも……」
「でも、じゃあ無い。俺達は強い。だから、あんたはあんたでやるんだよ! 頼んだぜ、炎の星の真の世継ぎさん!」
「知っていたの?」
「その紫の瞳、隠すにゃもったいないくらい魅力的だ」
 キャップに言われて僕は目に手を当てる。ゴーグルはもうない。装備も焦げ落ちている。残っているのは腰にぶら下がっているこの剣だけだった。
「胸を張れ。自分を信じるんだぜ。姫様の為にも」
 ゲコが強く肩を叩く。少し痛かったけど心強かった。

 僕は立ち上がった。剣を抜く。そして炎の皇子、兄さんを見る。
「くだらねえなぁ。出来損ないの弟がこの俺とやるってか?」
 兄さんも剣を抜き、両手を高く掲げて雄叫びをあげた。空気が震えるようだった。僕は目を逸らさず剣を構えた。

「さあ行くぞ」
 ゲコが囁く。僕は頷いた。息を深く吸い込む。昔習っていた剣技を思い出す。子供の頃、何度もあの兄さんと手試合をさせられた。毎日痛めつけられ傷だらけだった。そんな僕の味方は母さんだけだった。傷を手当てして優しく包帯を巻いてくれた。でも病弱な母さんの部屋に行くことは禁止されていた。だから助けを求めて行ったと知ったら、父さんも兄さんも僕を叱るだろう。だから僕と母さん二人だけの秘密だった。でも兄さんはすぐに気付いて、よりキツく当たってきたんだ。
 そんな古い思い出と共に落ち着きが戻ってきた。周りがよく見える。白く高く聳え立つ城壁。広い中庭の中央にシンボルツリーがあって、その周りには噴水もある。竜は息絶えたのか、端でうずくまっている。目の前。兄さんと僕との間に白いものがひらひらと落ちてくる。それは雪だった。
 雪?
 シールドがあれば雪は落ちてこない。なぜならシールドは身体の弱い王族を守る為に雪さえも遮っていたのだから。上を見る。虹色に輝くシールドは無く、我慢していたかのように分厚い雲が雪を舞い散らしていた。
「シールドを破壊しました! お待たせいたしました、皇子! 今、馳せ参じます!」
 空に竜が群れをなしてこっちへ迫って来ていた。炎の八部衆とそれに続く兵士達だった。
「なんてこった! これじゃやりようがない! くそ!」
 キャップは悔しそうに空を睨む。兄さんは剣を下ろし、冷ややかに笑う。
「ほうら、おしまいだなぁ」
 迫り来る大群の竜。そこに光が放たれた。その光は竜に当たると激しく閃光し爆発する。竜は乗り手ごと落ちてゆく。
「ワレラ、氷ノ星ヲ守ラン!」
 中央塔側の城壁に幾百ものロボット兵達がいた。
「そうか、シールドが無くなったからな! 反射を気にせず戦えるんだぜ!」
「あんだと!」
 炎の皇子が剣を地面に叩きつける。
「今だ、絵描きさん、走れ!」
 キャップが叫んだ。僕は中央塔の入り口へ走り出した。同時にキャップとゲコが皇子に向かって走り出す。その時、皇子とキャップ達との間に炎の鞭が振り下ろされた。
「あんたらの相手は俺達だぜ」
 そう言って八部衆の四人が竜から飛び降りてキャップ達の前に立ちはだかる。
「邪魔だ! どけ!」
 キャップは叫ぶと、先頭にいる棍棒のようなものを持った八部衆の一人に斬りかかる。ゲコは大剣を振って、ローラーのついた靴を履きクルクルと回る素早い八部衆を追いかける。僕は無我夢中で走った。でも中央塔の入口の前に兄さんが軽々と飛んできて立ちはだかった。
「おい、皆の衆。こいつは俺がひとりでやる。誰の邪魔も許さない! 分かったか!」
「御意!」
「御意に!」
 八部衆が口々に答える。

「さあ、始めようか。不出来な弟よ」
 僕は覚悟を決めた。
「ああ、兄さん、終わらせよう」

 兄さんは剣を掲げる。あの頃と変わらない構えだ。そして素早く振り下ろす。僕はそれを横に払っていた。その後、兄さんは僕が避けた方へ剣を突く。記憶の通りに辿る剣筋。次は右だ、ここで避ける。予想通りだ。何度も小さい頃、やられたおかげで身体に染み付いている。
「おい、避けてばかりじゃしょうがねえぞ! あの頃と同じだなあ!」
「うるさい、アンタもな!」
 剣が振り下ろされる。それを弾く。また横切る。受け流す。その度、少しずつ体に傷がついてゆく。向こうは無傷だ。くそう。このままじゃダメだ。ふと、周りを見る。キャップもゲコも必死に戦っている。でも敵の数が多すぎる。氷のロボット兵達も炎の大軍勢に苦戦しているようだ。僕自身、体験したことの無い争い。怒号が響き渡る。だけど、兄さんと向き合うこの場所だけは違う時間が流れているようだった。まるで別世界。静寂。時間が過去と邂逅している。そんな事を考えていた僕の眼前に鋭い剣先が迫る。

「おいおい、逃げてばかりだなあ。あの頃みたいに泣きつくか? 母さんに。そうして自分だけの母さんにするんだろう? 俺を悪役にしてな!」
「アンタを悪く言ったことはない!」
「よく言うぜ、この嘘つき野郎が! 親父にも言ったんだろう? 偉大なお兄さんは僕より弱虫ですってな」
 兄さんの剣筋が速くなる。
「心の中で笑ってたんだろう? 俺のことを。炎の皇族の力を、紫の瞳を受け継げなかった哀れな奴と」
 強い一撃がきた。僕の剣は真ん中で折れて、身体ごと吹き飛ばされた。兄さんがじわりと寄ってくる。
「さあ、お遊びはおしまいだ。さあ、どうする?」
 剣先が僕の眼前に突き立てられた。
「ほら、見てみろ周りを」
 兄さんは顎で周りを指す。僕は慎重に周りに目線を回した。キャップとゲコは八部衆に取り囲まれてしまった。ロボット兵達も炎の大軍団の前に壊滅状態のようだ。勝ち目が無い。負けなのか。
「おい、優しいお兄様が提案してやろう。お前のその瞳の力を俺の為に使ってくれるなら、お前とそこのカエルどもも殺さないでやろう。どうだ? それともまだ戦うか? それとも逃げるか? 昔みたいにな」
 兄さんは剣を下げて、僕に手を差し伸べた。昔からそうだった。僕をコテンパンにして最後に聞くんだ、戦うかやめるか。そうしてやめる事を選んだ途端、根性なしが! といって殴ってくる。兄さんの常套手段だ。その手には乗らない。キャップ達を見る。羽交締めにされている。彼らは僕を見て叫んだ。
「戦え!」
 そう叫んだキャップを派手な髪の八部衆が殴った。くそう! 僕は兄さんを睨みつける。
「……たたかう」
「あんだって? 聞こえねえよ」
「戦うって言ってんだろう!」
 そう言って立ち上がり様に体当たりした。岩のような身体だ。全く動かない。
「はあ、だからお前は出来損ないなんだよ」
 そう言って両手の拳で僕の背中を打ちつけた。ハンマーで殴られたような痛みが背中に響き、僕は地面に叩きつけられた。兄さんの足が僕の頭を踏みつける。
「もう一回聞いてやる。 戦うか、逃げるか?」
 頭が割れるような激痛の中、心を奮い立たせる。
「戦うって言ってるだろうが!」

「そうさ、戦うんだよ!」
 答えるように遠くから声が響いた。見れば城壁に長い耳を持った氷の星の兵士達が連なっていた。
「姫の声を聞いた! 私達は生きる。戦って生きるんだ!」
 それはあの時の女性兵士、たしかラヴィと言ったか。さらに反対側からも沢山の怒号が聞こえる。
「なんだ?」
 兄さんは周りを見渡し、僕の頭から足を離した。頭を上げるとそこには水の星の兵士達の姿が見えた。
「さあ、我ら水の星もこんな非道な行為には中立など保てぬ! 戦うぞ!」
 カエルの法王が拳を上げると、その背後から巨大な虫のようなものに乗った軍隊が姿を現した。さらにキャップ達の場所から剣と剣がぶつかり合う音が響く。見ればピヨンとフロッグがそこにいた。
「待たせたでヤンス!」
「ご心配おかけしました。ここからは着実に参りますよ」
 二人は俊敏な動きで八部衆を翻弄する。

「なんだ、これは」
 兄さんが驚いた表情で戦況を見ている隙に僕は折れた剣を掴む。そして兄さんの脇腹に剣を刺す。
「くそう!」
 僕の剣が深く刺さる前に兄さんは身体を捻らせ後ろへ飛んだ。
「お前ら同じ場所ばっかり狙いやがって」
 僕は折れた剣を構える。まだ戦える。みんなのおかげだ。力が沸いて来た。ふんっと一息吐いて兄さんも構えを正す。僕は間合いを取った。すると兄さんが話し始めた。
「なあ、お前が初めて力に目覚めた時のこと、覚えているか? 二人で街の外れまで冒険してさ。気付いたら夜になってて、泣きそうなお前の手を引いてふらふら歩いてたら、でっかいサソリ蜘蛛に見つかってさ。お前は泣くばかりで、俺はびびって何も出来なくてさ。そしたらお前が馬鹿みたいに叫んでさ、そしたらサソリ蜘蛛がちぎれてさ。その返り血で紫色に染まっちまった姿を二人で見合って笑ったよな。あん時はそれがお前の紫の瞳の力でやったとは思わなかったけどな。でもよ、あの後、お前が親父に僕がやりましたって自分の手柄にしやがって。親父は俺を根性なしって馬鹿にした。俺はお前に裏切られたんだよな」
 兄さんは剣を構えたまま真っ直ぐに僕を見ている。僕も思い出した。
「あの日、そう言ったのは街を抜け出したことを自分のせいだと思ったからだ。外を見たいと言う僕のことを思って兄さんが内緒で連れ出してくれた。だから無断外出の責任を取ろうとしただけだったんだ」
 忘れかけていた記憶。でも強者を好む父さんは僕を褒めて、兄さんを貶したんだった。
「あん? いいんだよ。そんな作り話は。もうおしまいさ。もう、お前も俺を憐れむ必要はない」
 そう言うと兄さんは剣を地面に投げ捨てた。僕は唖然とした。何を企んでいる? 兄さんはサングラスに手をかけた。
「何故ならこの目を見ればいい」
 そう言ってサングラスを遠くへ投げ捨てた。そこにある兄さんの左目は深い紫色に輝いていた。そして目を見開き、右手を伸ばし、手の平を僕に向けると
「立て」
 と不思議な声で囁いた。その声はまるで恐怖を感じさせる悪魔のような響きを持って僕を捕らえた。僕は言われるがままに立ち上がる。兄さんはニヤつきながら言う。
「最後、お前が家を出て行った日。むしゃくしゃしてたからお前を手試合でボコボコにしてさ。それで散々お前の絵の悪口言ってたらさ、お前の右目が紫の瞳になって俺を跳ね飛ばしたよな。それでお前は出て行ったきり。その後のお城の厄介ごとは全部俺がやってやったんだぜ。優しいお兄様はお前が紫の瞳の継承者なんて誰にも言わないでやったしな。ほんと哀れなお兄様だろう?」
 そうして人差し指だけ立てて、上空へと曲げる。
「浮かべ」
 また不思議な声で囁くと身体が宙に浮かんでゆく。十字に貼り付けられたような姿勢で動けない。
「どうせ、僕のことを言ったら自分の立場が危うくなるから黙ってたんだろう!」
 ふう、ため息をついて兄さんは真面目な顔で言った。
「まあな。でも、なあ、もう哀れなんかじゃないんだよ。随分遅くなっちまったが俺も紫の瞳になったんだ。この三惑星の星人達を意のままに操れる最強の戦士の証をな」
「な、何故だ? どうして今更」
「この戦を始める時に心に声が響いたんだ。神様か悪魔か知らないが、こんな世界壊しちまえってな。そうしたら本当の俺になれると。そう、これが、本当の俺なんだ」
 首が締め付けられる。とんでもない力だ。意識が遠くなる。
「さあ、これで俺を邪魔していた運命は終わる」
 息が出来ない。激しい爆発音も、剣がぶつかり合う音も、断末魔も、全てが薄く透明になってゆく。その中で姫だけが鮮やかに心に映し出されていた。生きて。姫が僕に言っている。
「粘るねえ。まあいい。そろそろ、行っちまいな地獄に。お前の愛しの姫さまも今頃地獄で待ってるさ。まあ、あれは綺麗な肌とお心を持った純粋な人間様だから天国ってとこに行っちまうのか。じゃあ、お前はもう会えねえな、ハハハ」
 首を締め付ける力がさらに増した。もう意識が切れる寸前だったが兄さんのその言葉だけは聞き逃せなかった。
「ひ、姫にな、何をした?」
「あ、まだ喋れんのか? さすが俺の弟だ。じゃあ、お兄ちゃんの優しさで教えてやるよ。あれな、私を妻にしてくださいって言うもんだから辱めてやってたのよ。なのに良いとこでお前がきてさ、そしたらあいつ、瞳を輝かせやがって。俺の気分も台無しになってよ。ムカついたから胸を深く切っといたわ。もう死んでんだろうな。お前が焼かれる風景を土産にしてやったけどな」
「き、貴様!」
 怒りが湧き上がる。姫。姫。姫! なんて事を! 意識は薄れ剥がれ落ち、ただ凍てつくような感情だけが燃え上がってきた。冷たく熱い刺々しい、知らない感情だ。心に映し出されていた姫はいつしか母に代わっていた。

 母さんは僕の髪を撫でている。大丈夫よ。優しい声。少し鼻にツンとする香り。病気がちだった母さんはいつも薬の香りがした。あの日が蘇る。
 初めて力を知った日。ことの成り行きを母さんに伝えた。母さんは言った。

 「それは私達一族が受け継いだ力なの。どの時代でもたった一人だけに現れるの。そのあまりに強大な力はこの星の人々を守る為にあったのに、いつからか人々を支配する為に使われるようになってしまった。私はこの力が無くなることを願ったの。だからお兄ちゃんもあなたも、その力がなくて安心していたの。そんなこと願っていたなんて、お父さんには言えないけど。
 あなたが持った紫の瞳の力。でも片目だけだからお父さんとお母さんの思いを二つ受け継いだ証かしら。

 ねえ、この力は秘密よ。他の人が力を知ったらあなたは利用される人生になってしまう。私はあなた達には自由に生きていって欲しいの。でもこれが運命ならばいつか使う日が来るかもしれない。だから、これから力の使い方を教えてあげる。この力は大切な人の為に使うのよ。いい?

 守りたいものを想像して、心を解き放つの。精神を解き放つの。魂を解き放つの。そして願いを言葉にして。あなただけの言葉で」

 そう言って母さんは微笑んだまま消えた。

 秘密にしなさいと言った母さん。僕に力を受け継がせた為に死んだ母さん。僕は自分の力が怖くなって家から、そして運命から逃げた。母さんの自由に生きろという言葉を理由にして。力のせいにして。そんなのはもうやめよう。僕は戦う。

 守りたいものを想像した。暗闇の中、姫がいる。僕の大好きな笑顔で、明るい声で、髪が風に揺れている。その風にのって姫の心地良い香りもする。僕は手を伸ばす。姫も手を伸ばす。でも届かない。あと少しなのに。僕の身体には赤い無数の糸が絡まる。姫の身体には青い糸が絡まる。その糸は僕らの伸ばした指先を辿って繋がる。赤と青が絡まった糸は僕らの間に立ちはだかる壁となる。それは混ざり合って紫色の壁になる。僕はそれを取り払いたい。僕は絡まる赤い糸を引きちぎる。ちぎってもちぎっても糸は溢れてゆく。強く願う。消えろ、消えろ。こんな糸、こんな壁消えろ。姫に会わせろ。僕は叫ぶ。心の底から、精神の底から、魂の底から。
「消えろーーーーーー!」

 目を開ける。紫の壁と同じ色の紫の瞳。兄さんがいる。目の前に。驚いた顔をしている。兄さんの左目から紫色が消えてゆく。震える黒い瞳。あのサソリ蜘蛛に襲われた時と変わらない表情。そうか、この人はきっと、ずっと怖かったんだ。だから強がる事で自分を守っていたんだ。そうか、兄さん、怖かったんだね。サソリ蜘蛛より、僕の事が。

 その時だ。僕の身体の深くから爆発する何かがあった。あれだ。あの時と同じだ。紫の瞳の力だ。僕はなんて言った? 消えろ? ちょっと待て。やっぱりダメだ。消しちゃダメだ! それは違う生き物のように僕の右の瞳から光を放ち溢れ出た。ちっぽけなこの身体から大きな城を包み込むほどの沢山の紫色の光。それは無数の紫色の蛇となり、とぐろを巻き縦横無尽に飛び回る。それに捕らえられた炎の星の兵士達は断末魔をあげて引き裂かれ血肉を撒き散らす。皆逃げ回っている。僕は止めようと目を押さえる。でも、溢れ出す光は手をすり抜けて、僕なんか相手にもせずに暴れ回っている。掴もうとしても紫の蛇は指をすり抜ける。僕の瞳は壊れた蛇口のように溢れ出る光の流れを止められずにいた。僕にはそれをただ見ている事しか出来なかった。空に舞い上がった紫の蛇のひとつが鋭い槍のようになり、兄さんの方へと向かって落ちてくる。待て! やめろ! 僕は叫ぶ。いや、声にはならない。心は置き去りで身体だけがそこにある。唯の兵器と化していた。兄さんは驚いた顔で空を見上げた。紫の光の蛇が兄さんを貫いた。何度も何度も。沢山の光の槍が兄さんめがけて振り落とされる。八部衆が兄さんを守ろうと光に立ちはだかる。でも光は簡単に八部衆を引き裂いてゆく。僕は溢れる光の勢いで地面に仰向けに倒れた。それでも目からの光は止まらない。その勢いに身体が地面を転がってゆく。瓦礫の影に隠れたキャップ達が見えた。ラヴィ達も。皆、恐れ震えた表情で僕を見ている。違うんだ。こんなはずじゃない。違うんだ! こんなの望んでいない! ちぎれる炎の兵士と竜。崩れる氷の城の城壁。生き残っている八部衆の一人が血だらけの兄さんを抱えて逃げ出そうとしている。僕は手を伸ばす。兄さん! 違うんだ! 声にならない。八部衆の男は僕を見るなり震えて竜にまたがり逃げて行った。どうしてこうなった。勝ったのか。何を勝ち取った? 姫は? 姫は無事なのか? 僕はそこで意識を失い倒れた。

 どれだけ時間が経ったのだろう。
 夜なのか、何も見えない。暗闇から誰かが話しかけてくる。
「大丈夫か?」
 キャップのようだ。
「うん、大丈夫。キャップも平気かい?」
「ああ、何とか」
 キャップが状況を教えてくれた。
「敵は逃げた。こちらも大分負傷者は出たが、あんたの紫の光は炎の兵士だけを撃ち抜いていた。だから、それに関しては安心してくれ。ただあの紫の力に驚いている星人も多い」
「そうだよね…… ごめん」
「そういう意味じゃないんだ。勝利したんだから。ただ、あまりに強力な力だったからな……」
 束の間、沈黙が流れる。でも罪悪感に戸惑っている場合ではなかった。
「ねえ、今は夜? 真っ暗なんだけどどうなったんだい? 姫は無事?」
「おい、何言ってんだ? さっきあんたが紫の光を放ってからそんなに経ってない。まだ真っ昼間だ。もしかして見えないのか?」
「え?」
 僕は手で目元を触る。ヌメっとした感触がある。でも手の輪郭もおぼろげにしか見えない。
「なあ、絵描きさん。あんたの右の目から紫色の血みたいなものが溢れている。それで瞳の色は両方とも…… 黒くなってる」
「そうか」
 目が見えなくなったのに、何故かあまり気にならなかった。あの酷い惨劇を僕が作ったとしても、その後悔は後ですべきだ。とにかく姫の場所へ行かなくては。
「キャップ、すまないけど姫のいるところまで連れて行ってくれないか。姫が危ないんだ」
「分かってる。先にフロッグが向かっている。立てるか? 今すぐ俺と行こう」
「ちょっと、あなた達大丈夫?」
 この声はラヴィだ。
「私も付いてゆくわ。みんなボロボロだし、危なっかしいわ。それに城内には何度か呼んでもらっているし道案内くらい出来るわよ」
「ありがとう。助かる。頼むよ」
「こちらこそ、ありがとう。この星を守ってくれて」
 ラヴィはそう言うと僕の肩に手を添えた。そのあたたかさに少し心が救われた。

 瓦礫を越えて中央塔の中を進んで行く。僕を見て悲鳴をあげる人がいた。見えなくても周りに座り込む人達が僕を避けて逃げて行くのが分かった。そんな中を無言で進む。地面には瓦礫が散らばっている。何度もつまずく僕を見かねて、ゲコが背負ってくれた。傷だらけの身体なのに。
「あんたは英雄だ。誰が何と言ってもな」
 ゲコはそう言ってくれた。

 塔の中心部に着いた。姫に初めて出会った謁見の間のようだ。フロッグが待っていた。
「絵描きさん、ご無事で」
「フロッグも無事みたいで良かった。それで姫は?」
「それが……」
  突然、嫌! とラヴィが叫んだ。
「どうしたの?」
「女王が…… 女王が亡くなられているの。何と酷い事を」
 ラヴィの啜り泣く声が聞こえた。
「こっちに来てください」
 フロッグが呼ぶ。ゲコは僕を背負いながらフロッグの後について行く。キャップは黙っている。嫌な予感がした。
「姫は?」
「ここに大量の血が。この出血量では多分……。でも姫様のお身体はここには無い」
「え? どういう事? そんなの意味がわからない。そもそも姫の血なのか? ちゃんと説明してくれ。こっちは目が見えないんだ」
 キャップやフロッグが悪いわけではないのに責めるように捲し立ててしまう。
「調べましたが姫のものでした。それに、ここには鎧や脱がされた衣服だけが残されていて……」
 フロッグが申し訳なさそうに答える。
「くそう! ゲコ下ろしてくれ!」
 僕は半ば床に落ちるように降りて、手探りで辺りを触る。広がっている血であろう液体が手にまとわりつく。でも、それはもう固まりかけていて彼女の一部だったとは思えない感触だった。
「そんなはずない! 身体が無ければ何処かに逃げたんだよ」
「確かにその可能性が高い。亡くなった女王以外、ロボット一体すらいないから。よし、ここにいるもので手分けして探そう!」
 キャップのその言葉に僕は違和感を覚えた。姫が生きているかも知れないのに、ここにいる人数じゃ足りない。
「ねえ、みんなで探してよキャップ!」
 キャップは僕の肩を掴んで言った。
「申し訳ないが今は負傷者も多い。それにいつ炎の軍勢が戻ってくるかもわからない。そして何より…… 姫様達王族はこの星の人々の象徴、心の拠り所でもあるんだ。もし何かあったと知れたら……」
 キャップは言葉を濁した。でもキャップの言う通りだ。純粋な人間である姫は三惑星の星人にとって祈りの象徴だ。特に氷の星人は神のように崇めている。もし何かあれば共に天へ旅立つ事も厭わないかも知れないし、戦う意思も、復興してゆく力も無くなるかも知れない。だけど、だけど。心の奥で納得できない自分もいる。
「外に出ていれば誰かが見つけていますし、城内ならそんなに広くないからすぐ捜索できますよ」
 フロッグが背中をさすって優しく言った。
「探そう。絶対何処かに逃げる事が出来たんだ」
 僕は自分自身に言い聞かせるように言った。
「絶対に見つけよう」
「ああ」
「おう」
 みんなの声が救いだった。闇へ落ちてゆく心を繋ぎ止める、たった一つの細い糸のように。