あの人がいなくなる。炎に焼かれて。あの人の生きてきた証さえも消し去るように、炎は恐ろしいほど真っ赤に全てを焼き尽くしている。やめて。やめて。私は叫んでいる。

 そこで目が覚めた。ベッドから起き上がる。窓の外を見る。いつもと変わらない穏やかな城内の景色。中庭では掃除婦ロボットがゆっくりとした動きで箒をかけている。あれ、でもおかしい。掃除婦ロボットはゴミを塵取りから出して中庭に広げている。そして、後ろ歩きでゴミを散らしては去ってゆく。この違和感は何? 見上げた空。雲の動きが早い。ぼんやりとした太陽の明かりは足早に動いてゆく。でもいつもとは逆に。落ち葉が舞い上がり、中庭中央にそびえ立つシンボルツリーの枝に戻って楽しそうに風に揺れている。そうだ、この世界は逆向きなんだ。そこで意識が途切れる。

 次に目を覚ますとあの人がいた。絵描きさん。あの丘で話した沢山のこと。今でも覚えている。彼の瞳を見つめる。とても綺麗な紫の右目だ。ああ、あの時ちゃんと言えばよかった。好きだって。そこでまた意識は途切れる。

 次の私はベッドの上。手を伸ばすとまんまるの小さな手。誰の手かと思っていたら不意に掴まれて私の手だと分かった。ベッドを覗き込む二人の顔。ママとパパだ。嬉しい。元気そうでよかった。

 また意識は闇へ。目が覚めたら、私はガラスケースの中みたい。ガラスの向こうで誰かが見つめている。あれはどこかで会った人だ。謁見の間で会った、確か魔法使い?

「氷の姫様。今そなたは死の世界と生の世界の狭間におる。もしこのまま懐かしい思い出と共に眠りたいならそれも良いだろう。ただ、どんな姿になろうとも、生きて会いたい者がいるなら力を授けましょう。どうじゃ?」
 魔法使いの質問。私は考える必要も無かった。
「はい、あの人に会えるならどんな姿になろうとも」
「よろしい。もしかしたらその者はそなたに気付かないかも知れない。そなたはもっと深く傷つくかも知れない。それでも選ぶか?」
「はい、何があろうとも。あの人を見つけ出せるなら」
「ふむ、よかろう。この秘術によって私の力を渡しましょう。祝福は時として呪いでもある。姿を変えたそなたを救うのはそなたを傷つけた者かも知れぬ。全ては偉大なる存在のままに。それでは私の記憶と共に。さあ、お行きなさい。秘術"リバース"」

 あたたかな光に包まれた。あまりの眩しさに目を開けていても閉じていても何も見えなかった。やがて光が弱くなると周りの風景が形を帯びて現れてきた。ここは宇宙船の船内だ。目の前に縦長の球体のガラスケースがあった。中に女性が寝ている。顔を近づける。というより私の意思ではなく身体が勝手に動いている感じだ。誰かの目線で映される映画の様に。顔はガラスケースギリギリで止まる。ケース内の女性の顔が見えた。驚いた。私だった。いや、とても私に似ている誰かだった。
「おやすみ、イヴァリス」
 私の口が発した声はしゃがれた男性の声、聞き馴染みがある。そうだ、あの魔法使いの声に似ているんだ。今度は立ち上がり、周りを見渡す。沢山のガラスケースが並ぶ。それぞれのケースの中に人が眠っていた。そしてヨロヨロと窓へと向かう。窓の外には眩しい光を放つ太陽が浮かび、目の前には白い星が見えた。その白い星の背後にとても綺麗な青い星が見える。そしてその窓に映る私の顔はしわくちゃになった老木のようだった。やっぱり、これは魔法使いの記憶なんだ。魔法使いはしばらく青い星を見つめた後、振り返っては背後に並ぶ沢山のガラスケースに向かってに語りかけた。
「いつか、必ず帰ってこよう」

 また光が溢れて、ゆっくりと消えてゆく。同じ宇宙船の中。でもさっきとは違う時間の記憶のようだった。窓の外に見えていた青い星は消えて、果てしない星の海が広がっている。魔法使いはイヴァリスのケースの前に座り、静かに俯く。感情が私に流れ込んでくる。
「無理だ。地球以外にこの宇宙で私達が住める星を見つけるなんて。ああ、イヴァリス。愛しい娘よ。お前の為にここまできたのに」
 魔法使いはケースに備え付けられているスイッチを押すかどうか迷っている。スイッチには覚醒と書かれている。絶望と孤独が心を締め付ける。しばらく悩んだ後。魔法使いは手を引っ込めた。そして泣き始めた。静かな泣き声はやがて大きな嗚咽に変わってゆく。悲しい。私も心が痛くて辛くなった。

 そこでまた光が溢れた。何度も光が来ては記憶を見させられる。でもどの記憶も絶望と孤独に苛まれるだけの時間だった。時々、ロボットが寄り添ってきた。女性型らしいそのロボットは歌を歌ってくれて、魔法使いのパートナーとして色んな雑務をしてくれる助手のようなものらしかった。彼女の名はネイキッドムーンと言った。

 何度も繰り返す記憶の中で少し分かったことがある。この宇宙船は避難船である事。沢山の人々をコールドスリープで運んでいる事。そして人間が住める星を見つけるまで魔法使いが運航を任されて選ばれた事。彼は何千年と生きた樹木の遺伝子を合成され、少しの光と水だけで生きていける。そんな彼以外、起きている人間はいない。そしてロボットもネイキッドムーンだけ。そんなことが分かった。って大変な物語ね、ほんと。でも、信じられないくらいの時間が経ったみたい。何度も記憶を辿るうちにネイキッドムーンも壊れて彼は本当に孤独なってしまった。いっそのこと命を絶とうとも思ったけど、娘の為にそれは留まっているみたいだった。

 ある記憶の時だった。彼は絵を描いていた。最初の記憶で見た太陽と白い星と青い星。そこに綺麗な女性を描いている。きっと娘のイヴァリスだろう。とても素敵な絵だった。何と言えばいいのだろう。魂がこもっていると言うか、キャンバスの中でその女性が生きているみたいだった。それを描き終えると前に座ったまま、ずっとずっと見続けていた。

 そこからさらに何度も記憶が映し出された。ある時、真っ暗な宇宙空間に光の球体が現れた。それは楽器みたいな不思議な、でも心地良い音を奏でていた。音が鳴る度に球体の表面はさざなみのように揺れた。宇宙空間という真空で音が響くはずもない場所なのに。それは魔法使いに話しかけてきた。最初は美しいメロディだった。でもだんだんと言葉へ変調していった。
「はじめまして。わかる? わたしたちがことば。あなたたちのよせた」
「あなたは?  もしかして神様ですか?」
「わたしたちはちがうのせかいから、あなたたちのせかいへきてる。あなたはたすかります。わたしたちのちからがかすから」
「それはどんな力ですか?」
「あなたたちがねがうもの、あたえる? でもこちらにも、おねがいがある」
「なんでしょうか? 何をすれば…?」
「わたしたちはしょうぶをしてる。あなたたちでいえば、それはゲームのようなもの。そう、あそびあいてをまかしたいのだ。そのためにたのみたいことがある」
「わかりました。何でもいたします。どうぞお力を」
 するととても眩しい光の粒がひとつ、目の前に現れた。
「それをつかいなさい」
「これは?」
「あなたたちのいうさんじげんのせかい。わたしたちはひとつ、ふたつうえの世界から話しかけている。私たちの次元は時をも形作れる。その凝縮したエネルギーである。おぬしが使いたいように使える」
「まさに運命。ありがたき幸せ」
「運命。すでに道は開かれておる。そなたが選んだ道が運命なのだ」
 光の粒を見た。それを見ているだけで力が湧いてくるのがわかった。顔を上げて聞く。
「では私は何をすれば?」
「それは……」

 記憶が進む。手元に小さな光の粒が輝いている。それを囲むように三体のロボットがいた。魔法使いがネイキッドムーンを再利用して作ったみたい。金色、銀色、桃色。その三体はよく歌を歌った。だからか、彼は彼女達をディーバと名付けた。

 アラームが響いた。モニターには、適応の可能性あり、三つの星、発見、と出てる。魔法使いとディーバ達は喜びはしゃいでいた。

 でも次の記憶、みんな暗い顔。調査機を送り込んで、その調査結果が返ってきていた。結果は否。人間が住むには少々難しい星だった。魔法使いは悩んだ。もうこんな星は見つからないと。ほんの少しだけ、星が私達を受け入れてくれたら。その時、光の粒の事を思い出した。大切にしまってあったその光をケースから出すと握りしめて祈った。
 どうぞ、この星に住ませてください。私達の運命を繋ぐ輪となってください、と。
 そう願うと、光の粒は三つに分かれそれぞれの星に飛んでいった。魔法使いは確信した。星が私達を受け入れてくれる。もう一度調査機を送った。

 次の記憶。赤い角を生やした人々が船内の広いスペースに集められていた。炎の星人に似ている。先頭には紫の瞳をした人が立っている。その人が声を高らかに宣言した。
「お父上の為に、人類の為に我らバーニングスターは炎の星を開拓して参ります!」
 魔法使いは声を振るわせながら答えた。
「開拓の為に生み出されし我が子達よ。今こそ新たな故郷を築く時じゃ!」
 そう言うと皆が手を掲げた。うお! と皆が歓声をあげる。

 次の記憶。傷だらけの紫の瞳の人が、目の前でひれ伏していた。
「よくやったぞ。褒美は何が良いか?」
 紫の瞳の人は答えた。
「その絵を。お父上が描かれたその絵が欲しいです」
 魔法使いは背後に飾ってあるその絵を見つめた。しばらく考えた後
「良いだろう。持ってゆけ」
 と答えた。紫の瞳の人は嬉しそうに頭を下げた。

 次の時間は魔法使いの記憶の旅の始まりで見たガラスケースの前だった。でも最初と違うのは宇宙船の中では無く、小高い丘の上だった。見覚えがある。あ、ここは絵描さんと話した丘にそっくり。私が永遠の丘と名付けたあの丘に。
「イヴァリス、やっとお前が長い眠りから目覚める日が来たと言うのに…… 私の時間はもう残り少ない。眠らねばならないのだ。使命の為に。どうか幸せであってくれ」
 横でディーバ達がふらつく彼の身体を支えてくれている。
「父上、ユキマショウ。時間ガ、モウアリマセン」
「さよならイヴァリス。愛してるよ」
 魔法使いの目から涙が溢れる。その涙は美しい白い糸のようになる。私はその涙の糸を身体に巻き付けて下へと落ちてゆく。深く深く魂の奥深くに。涙の糸はやがて私を包む繭になる。そしてその心地良い繭の温もりに浸っていると、ゆっくりと一つ、また一つと糸が解かれてゆく。その度に私の心が生まれ変わってゆく気がした。解かれた糸は目の前で揺れている。その間を小さくて丸い気泡がはしゃぐように上へと泳いでいる。

 私は目が覚めた。私は薄いピンク色の液体の中にいた。周りはガラスに囲まれている。身体には赤や白の細いコード線が絡まりついていた。触ろうと手を動かす。その手は私の知らない手だった。ピンク色の陶器で出来たような艶やかな手。まだ、記憶の中なんだわ。私はそう思った。もう驚かなかった。ガラスの向こう、目の前にヒップライトが心配そうに私を見ていた。その隣には魔法使いがいた。
「お帰り、お姫様」
 お帰りっていうことは……?
「ここは現実の世界じゃよ。そなたの命は取り留めた。ただ、もう命はほとんど消えておってなぁ。私のできる限りをしたつもりじゃがずいぶん小さな身体になってしもうた。すまないの。でも、美しさは前と変わらんよ」
 私は周りを見渡した。左手に鏡があった。そこに映るのは円筒形のガラスケースに浮かぶピンク色の蝶だった。あら綺麗な蝶々さんね。私が手を伸ばせば蝶々さんも手を伸ばす。え!って手を引けば向こうも手を引く。私は頬をつねる。むこうもつねる。そこで気が付いた。
 そう、これは私なのね…… えー! 私は叫ぶ。でも液体は静かに揺らぐだけ。叫んでも声にならない。どうして?
「のう、綺麗じゃろ。だがの…… 悪いが喋ることは難しいかもしれんの」
 するとヒップライトがそばにやって来た。
「姫サマハ、ワタシガマモリマスカラ。ゴ安心ヲ」
「このヒップライト殿がそなたをここまで運んでくれた。良いロボットですな。いくつか破壊された部位もあったが修理をしておいた。もう大丈夫じゃろう」
 ヒップライト、無事でよかった。私がそう思っているとヒップライトは
「ハイ、無事デス。ゴ心配オカケシマシタ」
 と答えた。声が出せないのに私の気持ちに気付く事に驚いた。
「ほほう。人と人が言葉無く分かり合うのは難しいが、人とロボットであれば理解し合えるとは…… これまた面白い」
 と魔法使いは笑った。はあ、こんな時に笑うなんて。と思っていたら
「ホントデスネ」
 とヒップライトが合わせるもんだから思わず私も笑っちゃった。でもそこで私は忘れていた大事な事を思い出した。あの人はどうなったの? それにみんなは? するとヒップライトが察して魔法使いに言った。
「姫サマニ、ゴ説明ヲ」
 魔法使いは笑顔をほどき真顔に変えて私を見つめて頷いた。
「そうじゃな。なぜそなたがここにいるのか。瀕死のそなたをこの城の地下深くにあるラボへと運んだ。そして三日間眠り、新しい姿に生まれ変わり目覚めた。というところじゃ」
 私は震える鼓動を抑えるように胸に手を当て息をゆっくりと吸い込んだ。
「大丈夫じゃよ。炎の星の者達は敗れた。氷の星の人々も他の星の助けもあり救助が進んでおる。そして…… そなたの想い人も生きておる」
 本当に? 嬉しい。心から嬉しかった。
「だが安心するのはまだじゃ。このケースから出るにはもう少し時間が必要じゃ。しばらくは大人しくしておいてくれ、美しき蝶々よ」
 私は頷く。あの人に会える。それならいくらだって待てる。だって今までも沢山我慢してきたから。でも心からその熱が引いてゆく。少し痛みが走る。そうだ、星のみんなはこれからどうすれば。ママも死んでしまった。色んな感情が渦巻く。あの人に会える、その気持ちだけではもう進むことは出来ないんだ。私はきっと変わったんだ。変わらなくちゃいけなかったんだ。私は見慣れない陶器のような手を握りしめる。こんな姿になったとしても、ここから始めなくちゃ。